2019年09月27日

【ぶらり父子の旅‘19夏】

 今年の夏休みもまた、性懲りもなく乗り鉄を企てた父子。
 ここ数年、お盆休みの恒例行事となっている様な我が家の男二人旅。相変わらず愚息はまだまだ乗りたい鉄道路線があり、無理難題を行って来る時がある。もっとも、小生にも、乗りたい路線がある訳なのだから仕方ない話かもしれない。
 お疲れ気味の小生は、近場でいいかなぁと思って相談した所、時刻表とにらめっこしていた愚息は「只見線に乗りたい!」とまた無謀とも思える事を言い出した。そこから、二人して乗り継ぎの時間を調べてみたりして、何とか行程表を作ったのであった。

 8月15日の朝。爽やかな晴天の下、「小さな旅ホリデー・パス」を手にして、山形駅から山形線(奥羽本線)列車の車中の人となる父子。福島までの乗り換えなしで、各駅停車と板谷峠越えの様子をゆっくり楽しみたくて普通列車を選んだのであった。
 朝早い出発となったが、運転席側の大きな窓から先に延び行く線路と広がる景色を、客室の窓からは夏色に輝く故郷の景色を楽しみながら、まだ乗らない路線へと心は弾んでいたのである。乗っているのは、719系5000番台電車。初代山形新幹線400系電車より先にデビューして走り続けているが、この先いつまで活躍していてくれるのだろうか。
 米沢駅に到着。乗り換える事もなく、ただ、乗務員さんの交代(運転士・車掌共)がある様で、ここからの乗務員さんのお二人は、ともに女性の方であった。なんだか和らいだ雰囲気の列車になった様だ。列車は、次第にきつくなる勾配を登りながら、先人達が難工事の末に開通させた鉄道線を進んでいくのであった。しっかりとスイッチバックの跡や各駅の様子・峠駅での立ち売りを確認しながら行けるのは普通列車ならではの楽しみ。そのスイッチバック跡を見掛けては、つい昔ばなしをする父に、どこまでイメージを膨らませて素直に聞いてくれていたのかなぁ。
 庭坂の大カーブを過ぎたあたりから、再び車窓が開け果樹畑を過ぎ、福島市の街へと近づく列車は、山形新幹線との分岐点からそのまま地平を進み、東北新幹線へと乗り入れする山形新幹線のスロープを見ながら福島駅の在来線ホームへと到着したのである。

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  山形発「福島」行・719系5000番台。
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  山形新幹線のスロープを望む。

 福島駅からは、すぐの接続となる新白河行きの普通列車へ。仙台からの列車は、やや混んでいる感じで、最後尾車の運転席付近に立ち展望室気分で東北本線を進み、上下線の離合や途中駅の配線にその歴史と幹線である所以を見つけて歓喜しているうちに郡山駅に到着。
 次の列車までは30分以上もあるので、広い構内と停まっている列車群や見るものあるものに、カメラを向けて思い思いに駅撮りを楽しんだ。長い編成のタンク車しかりEH500型電気機関車に、貨物輸送の一大拠点である事を来るたびに感じさせられている。そうそう、降りたホームの線路を挟んだ隣のホームには、ちょうど水郡線のキハE130系気動車も停まっていた。乗ろうと思えば乗れるのだが、今回の目的とは方角が違うし、また別の機会に水郡線の旅を楽しむ事にしよう(と、来るたびに同じ事を思っているのだが)。
 まだ時間に余裕があるので、気分転換を兼ねて郡山の街の空気を吸いに駅の外にも出た。ほどなくして、今度は磐越西線のホームへ。折り返しとなるのか、まだ列車はなく、乗車口にも先頭で待てたおかげで、混み始める前にしっかり好みの席に座る事が出来た。事故車の代走として、現役を離脱したはずの719系が運用についているとの話を聞いていたので、ちょっと期待して来た磐越西線(福島まで乗って来ただろうと言われそうだが、アレは同系5000番台)なので、どこかで会えるのかも楽しみの一つでもあった。
 いよいよ、数年振りの同線。振り返れば、愚息と二人で「ばんえつ物語」号に乗りたくて来たのだった。やはり、朝早く出発し、乗り継ぎを繰り返して、山形からは限界となる野沢駅まで行ったのだった。その時に牽引した蒸気機関車は「C61−20」号機で、間近に見る大型機関車に驚いていた愚息が可愛かったなぁ。
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  国鉄時代の忘れ形見。
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  EH500型(奥)とキハE130系気動車(前)。

 地元の近距離と観光の利用者を乗せた列車では、朝早かったのと外気の暑さが相まって、心地よい空調に、車窓を楽しみたいのに、ふと眠気がさした愚息。磐梯山や車窓の風景が眠気を弾いてくれたのか、いつの間にかカメラを構えていたのであった。たしか、猪苗代湖付近の某駅でレンタサイクルを利用して撮り鉄をした事を思い出し、もし今も利用出来るのであれば、自家用車での移動より楽しい事を愚息に教えてやりたいものだと思ったりした。ん?高畠サイクリング例会で一緒にレンタサイクルで楽しんでいたか。
 会津観音が見え、さりげなく右側から線路が寄り添ってくると、間もなく会津若松駅である。会津若松は、小生の好きな街の一つでもある。只見線の乗り鉄を楽しむついでに(接続列車まで時間が空くので)、昼食とプチ観光を楽しむつもりでの途中下車。会津若松駅前から、「まちなか周遊バス」が会津の歴史や魅力を周回コース(1乗車210円・小人110円)で、会津のシンボル「鶴ヶ城」や白虎隊臨終の舞台「飯盛山」などを案内してくれるとか。せっかくなので、駅からも近い「飯盛山」を、中学生になった愚息に、あらためて見せてやりたいと思い「まちなか周遊バス」で向かったのである。初めて訪れた小学生の頃から、何度も訪れているはずなのに、駅から真っ直ぐ1.5qと鉄道旅行者にはうってつけな観光スポットだったと、今更ながらバスに乗って気付いたのだった。幕末の大きな時代の流れの中で戊辰に散った白虎隊の霊が眠る場所。「白虎隊」の兵士の年齢は、今で言えば高校1・2年生くらいか。しかし、自決して亡くなられた兵士の中には、ちょうど愚息と同じ年齢の方のお墓もあるのだ。たしか、白虎隊と行動を共にしていた少年兵だったかも。主君にあまりにも忠義を尽くすばかりに悲しい最期を遂げた少年達の話に、内乱も戦争もないこの時代を生きる愚息だが、あの頃の小生と同じ様に少なからず心に響くものがあった様だ。そして、同じ飯盛山に建立されている「さざえ堂(円通三匝堂:えんつうさんそうどう)」を拝観した。不思議な二重構造のらせん階段で上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参り出来る。
 どちらかと言えば、ボーっと生きている様な愚息(担任の先生の話では、学校での様子が違うらしい)には、訪れた土地の様々な物と歴史や人に触れながら、たくさんの事を知って心豊かな人になって欲しいと願う父。
 麓のお土産屋兼食堂で昼食としたのだが、食べるより先に、この日も暑かったので、とりあえず冷たいものを。そう、冷えたビールを頼んだ父と冷えたコーラを頼んだ子は、シュワシュワした泡がのどを通る爽快感に生き返った心地であった。一緒にビールが飲める日まであと何年・・・。
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  お城をイメージした会津若松駅。
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  「飯盛山」にある少年武士慰霊碑。
 
 それぞれ、ソースカツ丼や喜多方ラーメンでおなかを満たし、再び会津若松駅に戻る。バスが遅れているらしく、只見線の列車に間に合うのか気を揉んでしまったが、若干の余裕を残して改札を入り只見線の列車へ。キハ40型気動車の東北色が懐かしい。混んでいるのかなぁ?見るからに御同病の方々が大半な様だが、1ボックスを確保出来たのでのんびり車窓を楽しめそうだ。列車は街を抜け、七日町駅で会津鉄道線と別れて、田園風景の中を進んで行く。稲の育ち方が山形より早いのか、そういう品種なのか、稲の背が高い様だ。会津坂下駅では、交換列車との待ち合わせのため、少し長めの停車時間を有効にホームに降りて、駅撮りを楽しんでみた。再び走り出した列車、窓の開く車両も少なくなったし、自然の風を感じたいと窓を開けた。山間に向かっているから涼しくなっているのかなと思っていたら、雨が・・・。通り雨だったのか、ほどなく晴れて来た。会津柳津駅には、C11型蒸気機関車と腕木式信号機が展示保存されている様だ。夏祭りでもあるのか駅前に飾りを見つけ、人々の集う姿を思い浮かべたのであった。でも、山の季節は、秋めいているのか会津桧原駅で停車した際に、大きく栗の実がなっているのを見つけた。車窓に沿う樹々の間から、川面が見え隠れし始めているのに気づき、「あ、只見川かな。」と、いよいよ、この路線らしい雄大な車窓風景が見て楽しめるのに嬉しくなってきた。
 川幅が広く水深も深そうな只見川に寄り添い時に渡りながら、ずいぶん前の事だが「SL只見号」を、只見駅まで車で追っ掛け撮影に来た話をした。愚息は、煙を吐き力強いSLを見てとても喜んでいた事を、当然の様に「記憶にない。」と言うのである。所詮、幼子の頃の記憶なんてそんなもん。しかたがないから、只見線が敷設された話を会津宮下駅付近にあった発電所を例にして、只見川と発電所、ダム建設の資材運搬のために敷設された事を話したのである。会津川口駅が近づく頃、青空が広がり、川面が輝く様に青く、周りの山と空を映していた。只見線は、この先、只見駅そして、新潟県の小出駅へと伸びているのだが、平成23(2011)年新潟・福島豪雨の影響で、会津川口〜只見駅間の運転を見合わせ、バス代行輸送を行っている。会津若松駅からの列車は、ここ会津川口駅が終点となり、折り返し運転となっている。
 ここでの滞在時間は30分足らず。只見川と列車を一緒にした写真を撮りたいのだが、確かに、駅撮りでも撮れなくもないのだが、川を広く見渡せるベストポジションな場所まで行くには時間が足りない。近くでも撮影の出来そうなところはと、駅から建物の隙間や空き地を探し歩く事数十メートル。も歩かないで、幅の狭い道を見つけ入ってみたら、これまたお手軽だけど絶好の撮影ポジション。列車が大きく撮影出来たし駅の雰囲気も撮影出来たし思わぬ発見だった。
 駅前の商店で、帰りの車中に持ち込む物を購入し、再び会津川口駅へ。まだ発車時刻まで時間があり駅撮りを楽しむ。乗客のほとんどは、先程と変わらないような顔ぶれだが、改札を出た方が皆無に近い感じだったし、どこで何をして過ごしていたのだろうか。
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  只見川に映る空と山。
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  会津川口駅にて。

 乗って来た列車は、ホームに横付けされたままであったので、そのまま乗っていた方がほとんどだったのか。若干の席替えをして、会津若松行きとなる。すっかり空は明るく晴れ渡り、山間の夏の名残を惜しむかの様に照らす太陽を浴びて走る列車。そして、お決まりのビールは、何本目か。来る時に見つけた物や場所をもう一度確かめてみたり、来る時には気付かなかった物を見つけてみたりしながら、只見川と別れて田園風景の中へ。
 結構、影が伸びてきたなぁと思っているうちに七日町駅に到着。交換列車との待ち合わせのため長時間停車。やって来た列車は後ろに「只見ユネスコエコパーク」のラッピング車両が連結されていた。続いて、会津鉄道の列車もやって来て、間もなく発車となったのである。
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  只見ユネスコエコパークのラッピング。
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  会津鉄道もラッピング車両。

 会津若松駅に到着。しかし、素直に郡山駅に向かうはずもなく、夕食を兼ねて寄り道しようと喜多方行きの列車へと。喜多方と言えば、喜多方ラーメンを食さねば。父は良くても、子はお昼に食べていた様な・・・。だが、「ラーメンで大丈夫。」と、飽きないのは誰に似たのやら。ラーメン屋さんを探して歩く時間もなかったので、駅前直ぐのラーメン屋さんへ。ってか、喜多方に来るたびに、よく入る店だったりするのだが。
 店内には、「ばんえつ物語」号の写真が数枚飾られていて、ラーメンが出来上がるまでの時間は、鉄道愛好家には嬉しい前菜になっているのかもしれない。それを見ながら呑んでいたりして・・・。
 お盆ともなると、日が暮れるのがめっきり早くなったのを感じる中、喜多方駅からは。急行色のキハ47型DCで会津若松駅へ。
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  蔵をイメージした喜多方駅。
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  急行色をまとったキハ47型。

 隣りのホームには郡山行きがすぐの接続で待っていた。混み具合もそこそこに、何とか二人並んで座れたのには、ほっとしたのだった。車窓を眺めても、暗がりばかりで(もっとも、ロングシートに座った身には、ほかの乗客達が目の前に立っているのだが)何も見えないのと同じである。「終点まで乗るのだから、寝ても良いよ。」と、疲れが出て来た子に言いつつも父も眠かったりしていたのは呑みすぎか?
 突然、停車駅でもない山間の暗がりの中で、軋むような音を立てて列車は止まった。すぐに「鹿と衝突した。」との放送が流れ、「確認のため、しばらく停車する。」とも。乗務員さん達は、車両や線路の周りを点検し、鹿の姿がない事と車両に異常のない事を確認したものの、すぐ運転再開とならず、なんだかんだで郡山駅には34分遅れて到着。車掌さんに相談していたものの叶わず、無情にも予定していた山形新幹線「つばさ157」号とは接続を取らなかった。最終列車でなかったのが救いだったのかもしれない。
 郡山駅では、指定席券の変更を。事故での振り替えとして、あらためて「つばさ159」号の指定券を発券してもらう。今日中に山形へ、我が家に帰れる事に安心し、心とお腹に余裕が出たので、新幹線ホームに上る前に夜食として「駅そば屋」へ寄ってみる。新幹線ホームに上がれば、当駅発着の新幹線や通過する列車を見ながら、「つばさ」号を待った。
 やがて「つばさ」号が入線。乗り込み郡山駅を後にした。暗く静まり返った様な車窓、その窓に映る子を見ながら、どこか頼りない我が子であるけれど、道中のいろんな場面で成長している姿に、缶ビールを飲みながらしみじみ嬉しく思う父。
 父子を乗せた「つばさ」号は、いつしか夜の山形駅に着いたのであった。来年の夏も、これからも二人旅が出来るといいな。いつか、巣立つ様に一人旅に出掛けるその日まで。

   鉄道友の会山形支部・支部報 気動車急行「出羽」令和元年秋号 より









posted by 管理人:錯乱坊 at 21:46| Comment(0) | 鉄道徒然草