左沢線で「SATONO」が運転されたのを撮影し終えて、E8系が営業運転に入ったし、今年の「関根の紅花」を撮影しようか迷っていた7月初め。小生の少年時代から憧れの人である鉄道写真家の南正時(みなみ まさとき)先生から、その関根の紅花畑での撮影を一緒しないかと、お誘いを戴いた。約束した某日、先生は、朝露に濡れる紅花を撮影したくて、前泊していたが、小生の都合で、お昼前からご一緒する事になり、夕方までではあったが、場所の移動もありつつ、先生のお人柄や撮影の拘りに触れ、小生自身の撮影技量に新たな気付きがあった。空の下に咲く紅花を撮影して満足した小生であったが、静かに流れる時間と、雲の流れと共に変わる空気感に、より撮影の奥深さを感じさせられた。まだまだ道半ばなのである。夕方近く、少し陰った空の下での紅花とE8系は、なんだか、紅花が映える良さげな感じであった。先生もお気に入りだったそうだ。
撮影の合間に、いろんな話をさせて頂きながら、愚息も、同じ鉄道趣味人である事を話ししたら、先生の作品展を開催している「鉄道博物館(鉄博:てっぱく)」の招待状を「夏休みにでも、親子して作品展にお出で。」と、後日、二人分を送って戴いた。ご厚意に、感謝感激である。
夕時の紅花。(撮影:6.7.13)
毎夏恒例の、父子旅に出掛けるにあたり、この春から、社会人となった愚息は、今までの様な長い夏休みは取れないので、我が家の予定と擦り合わせながら、まずは、日程を決めた。「行かない。」とか、「別行動する。」とか言われなかったので、一安心ではあった。
今年の行程は、「水郡線」や「常磐線の未乗区間」と愚息は言うのかなと思ってもいたが、「鉄博」の招待状を戴いていたので、小生自身、前々から、鉄博での南先生の作品展を見たかったし、400系新幹線の雄姿も見たいし、愚息も、古い車両に関心があったので、まずは、「鉄博」は決まった。その後は、どうするのか、愚息の意のままにさせ、決めた行先は「日光線」。まぁ、いいんだけど、その選考基準って、何なのだろう。乗った事のない路線ではあるのだが、ちょっと地味かも。話しを聞けば、一人で出掛けて乗った「相模線」や「鶴見線」で運転されている「E131系」シリーズの車両(600番台)が運転されているので行ってみたいとか。乗るのが主目的な愚息だが、行くのならば、撮影はとか、観光しないのとか、つい、時刻表を一緒に読みながら、余計な心配をしてしまった父である小生。
出来た行程は、あまりにもあっさりとしたものとなった。欲張らずのんびりしたとも言えそうだ。乗り継ぎ旅より、どこかでじっくり過ごす旅も楽しいし。とりあえず、出発日を8月13日(火)として、鉄博の開館時間前までに着ける様にして、「えきねっと」から、往復の「新幹線特急券」を手配した。今回の乗車券は、通常の乗車券のみを利用するのだが、「山形−大宮」間の往復に、「日光線」を利用するとなれば、「宇都宮−日光」間の往復もとなるのだろうが、日光線での途中下車(下車駅未定)も考えたので、帰りを、「大宮−日光」「日光−山形」の二枚で発券した。お値段的には、「大宮−山形」と「宇都宮−日光」往復で発券した方が、缶ビール1本分くらい安かったのであったが・・・。
出発日までの間、日光線内での走行写真をどこで撮影しようかと、時刻表で交換列車を調べたり、地図を広げたり、撮影地を探してみた。有名な所は、残念ながら、地理的にも不慣れで、時間的に無理がありそうなので、駅から、さほど遠くない場所を探した。
お盆休み真っ只中の13日。
鉄博の開館前までに着ければとなったので、早起きする事なく、山形駅入り。山形新幹線ホーム2番線には、「銀色のつばさ」号が、新庄行きの171号として停まっている。程無くして、1番線に、E8系が、東京行きの124号として入って来た。この並びを撮影したのだが、停車位置やホームの構造上、意外と綺麗には撮影出来ないものだ。何とか収める事は出来た。
銀色の「つばさ」号とE8系。
E8系の東京行き124号は最速列車、いよいよ出発だ。紅花色の座席に身を沈め、しばらく車窓から夏の風景を眺める。この春までの3年間、列車通学をしていた愚息は、何を思いながら車窓を眺めているのだろうか。これからは、非日常の世界へと繋ぎ、新しい発見や出会いが待っている線路に、静かに胸を弾ませているのかもしれない。同じ線路(区間)を、はるか昔に、辿った父である。
朝食に駅弁では多いかなと購入したおにぎりを食べる。駅弁「どまんなか弁当」風のおにぎりは、ご飯にタレが沁み込んでいるので、弁当より味が濃い。具として、牛肉が入っていた。そこは、物足りなかったけれど、所詮、おにぎりなので、ご愛敬かと。そして、車内販売が回って来たので、お決まりの如く、呼び止める。そして、「シンカンセンスゴイカタイアイス」の「バニラ」味を選んだ。
普通車の座席は紅花色。
駅弁風のおにぎり。
ゆったり過ごしながら夏の山形路を南下し、いつしか、板谷峠を登っている。相変わらず新幹線とは名ばかりのゆっくりした速度ではあるが、そこから見える山あいの景色や鉄道遺構となったスイッチバック跡を見ながら、先人達の想いに寄り添ってみた。改軌前の様子を、どこか懐かしく想えたが、愚息にしてみれば、生まれる遥か以前の事。
峠を降りて、大きくカーブし、開けた風景が見えた事で、福島県に入った事を知る。東北新幹線へのアプローチ線を進みながら、その向こうに、絶賛工事中の上りアプローチ線が見え、本線側では、福島駅11番線への線路取付工事の様子も見えた。福島駅に到着して、先着の「やまびこ」124号と連結。待っていた「やまびこ」号は、E5系なので、如何にも速そうなコンビみたいだ。
福島駅を出発した「つばさ」124号は、新幹線車両の本領発揮とばかりに、板谷峠での鈍足ぶりが、なかった事の様に、速度を上げている。そう、福島を出ると大宮まで停まらず、途中、最高時速300qで運転するらしい。ぐんぐん速度を上げて、次駅の郡山駅を掠める様に通過した。まだまだ速度を上げ続け、新白河駅を通過してまもなく、時速308Kmが出ているのを確認した。
思ったほどの揺れもないのは、全ての車両に、横揺れを打ち消す方向の力をあえて発生させて横揺れを低減する「フルアクティブサスペンション」を搭載してるからだとか。なるほど、乗り心地は良い訳だ。
乗り心地ばかりに気が行ってしまい、車窓を楽しんでいたのか、よく解らないまま、上越新幹線の高架が近付き、大きな工場の屋根が見えて、まもなく大宮駅に到着。
乗って来た「つばさ」124号を見送り、まもなくやって来たE7系「とき」306号を撮影してから、ちょっと駅前(西口)の様子を見るために、大宮駅の改札を出る。
アプリに、時速308Kmを表示。
このまま、「鉄道のまち・大宮」を散策しながら、鉄博まで、歩いてみようかと、愚息に聞いてみた。案の定、「ニューシャトルに乗る。」と、即答された。まぁ当然と言えば当然の返事なのだが。乗りたかったニューシャトルだったし。乗り場へ向かう。駅ビルのテナントは、まだ、9時半頃とあってか、シャッターが閉まっていたが、辺りを見渡せば、鉄博へ誘うイラストが多く、心躍らせてしまった。
ニューシャトルの乗り場へ。乗り場は、1面のみ。しかも、JR線に対して、垂直になっっている。軌道を見渡せば、鉄のレールはない。そして、ホーム右手の軌道が、急カーブしているし、進行方向となる左手奥も、急カーブしているではないか。狭い所に、ぎりぎり作った様な感じだ。いや、こんなきついカーブで大丈夫なの、と余計な心配をしてしまった。
足元を見れば、すでに鉄博。
「ニューシャトル」、正式には、「埼玉新都市交通伊奈線」と言い、開業は、東北新幹線の大宮暫定開業の翌年、昭和58(1983)年12月22日である。新幹線の車内から、「ちちゃこな列車は、どだなどごまで、いぐなだべが。」と、眺めていたし、今もなおであった。そして、現在の終着駅・内宿まで開業したのは、平成2(1990)年8月2日なのだ。そのちちゃこな列車が、大勢の乗客を乗せて到着。代わりに、小生父子を含めた乗客が、車内を埋める。やがて、出発となり、右に急カーブして、JR線に沿う様にして、鉄博に向かう。レールがないと言う事は、車輪は、自動車と同じゴムタイヤを使っている。また、案内軌条式を採用している様でもあり、札幌市営地下鉄と同じシステムでもある様だ。登り下りを繰り返して、4分ほどで「鉄道博物館」駅に到着。
ニューシャトル・「鉄道博物館」駅にて。
建物を繋いだアーケードの下を歩き鉄博へ。行列は、そんなに長くもなく、最後尾に並び、動輪や台車枠などを見ながら、開館を待つ。いよいよ開館となり、さぁ、どこから見てみようか。まず、目に着いたのは、「EF58型61号機」電気機関車である。お召列車専用機として製造され、首都圏の直流電化区間を中心に活躍した機関車。しばらく、見入ってしまった父子である。
「EF58型61号機」電気機関車。
車両の並んでいる展示室へ。鉄道車両の歴史を感じさせる車両が、たくさん並んでいる。
まずは、「1号機関車」から見て行く事にする。国指定重要文化財で、鉄道記念物の機関車は、新橋−横浜間の鉄道開業時に、イギリスから輸入された蒸気機関車のうちの1両だとか。後ろに、創業期の客車を従えて、当時の様子を再現している。展示室には、写真でしか見た事のない車両から懐かしい車両などが並んでいるので、「鉄道少年」に戻ってしまいそうになった小生ではあったが、一応、鉄父としての威厳を見せなけらば(普段の父としての威厳はどうなのかは、ご想像にお任せ。)と、古い車両についての予備知識のない愚息に、簡単な説明をしながら、各車両を見て回る。きれいに保存展示されている車両達を、現代の車両との違いを、興味深げに観察している愚息である。
茶色の小さな電気機関車「ED40型」。こちらも、国指定重要文化財で、準鉄道記念物である。国鉄初の本線用国産電気機関車で、鉄道省大宮工場(埼玉県)で製造された。信越本線横川−軽井沢間の急勾配区間で使用するため、アプト式を採用した。そのためのラックレールも設置されていた。
独特な雰囲気の列車があると思えば、それは、歴代の「御料車」だ。和洋折衷かと思えば、ドイツ風だったり、日本の伝統を重んじた内装を持つ車両だったりと多彩だ。時代と言うか、漂う高貴な空気感を感じた。
「1号機関車」。
「ED40型」電気機関車。
気を取り直すかの様に、小生が、幼き頃から親しんだ車両が並ぶ所へ。ED75型700番台電気機関車に、455系急行型電車、そして、485系特急型電車(ボンネット型)がそれ。活気のあった全盛期の山形駅を思い出させるかの様で、鉄道少年には堪らない並びだ。ED75型には、愚息も、イベント列車や左沢線配給などで、馴染みがある訳だが、並んでいる455系と485系(ボンネット型)は、模型でしか見た事がないので、実車を前にして、外観・内装共に、しっかり観察している。車内にあった冷水器に、何をする設備か解らない愚息。それを、思い出を交えながら、説明する小生。備え付けの紙コップに、冷たい水を注ぎ、飲んだっけと。
後列左から、ED75型700番台電気機関車・485系特急型電車(ボンネット型)・455系急行型電車。
優等列車にあった冷水器。
貨車のコーナーでは、レムフ10000形貨車に興味を寄せる愚息。鮮魚を低温に保っった状態で、東海道・山陽本線を、高速運転で輸送した。走る冷蔵庫と説明したが良かったのかな。丸みのある青い客車は、20系特急型寝台客車だ。同系最後の新設特急である「あけぼの」号として、奥羽本線でも運転された。真夜中に、親のカメラを借りて、山形駅に撮影に出掛けたっけ。客室内には入れず、覗き込む様に見ただけで、展望スペースに立ち、過行く夜景を妄想する。愚息は、狭い三段ベッドでの旅を、どう想像していたのだろうか。新幹線車両200系と0系も展示され、硬い座席の作りと狭さに、時代の流れを感じた。
一度、本館を出る。色褪せた183系特急型電車が並んでいる。駅弁を持ち込んで食べられる休憩所「ランチトレイン」として活用されている様だ。
そして、南館へ。展示室と違った明るく開放的な館内には、400系新幹線とE5系新幹線が並んでいる。新幹線の新時代を築いた両車である。もっとも、E5系は、兄弟形式のH5系を含めて、東北・北海道新幹線で、絶賛活躍中である。隣にある、ちょこんと小さくて、丸みのあるシルバーメタリックの車両が、そう400系新幹線。開業当時の塗色に戻されての展示であり、いろんな思い出が頭を駆け巡る。新庄延伸開業後に生まれた愚息は、同じ銀色でも、延伸の際に増備されたE3系に合わせて塗り替えられた塗色が当たり前だったので、かえって、新鮮に見えていた様だ。しっかり観察をする愚息。表記や銘板を見ていて、車両メーカーや鉄道会社の銘板は解るが、「山形ジェイアール直行特急保有株式会社」は何なのか解らないでいる。当然だろうなと思いながら、その謎めいた会社が、何だったのかを、山形新幹線を開業させるためにも、重要な会社だった事を説明した。今はもうないけれど。
400系のラストランを、山形駅で、愚息と二人で見送ったあの日。新幹線ホームの先端から、まだ幼かった愚息を肩車して、去り行く姿を、見えなくなるまで見続けた。試運転からその日までの趣味活動や半生、400系と共にあった様々な思い出が甦り、小生の目には、不覚にも似合わない涙が溢れそうになったのだ。
山形新幹線初代車両400系。
保有してたのは「山形ジェイアール直行特急保有株式会社」。
再び、本館に戻り、2階に展示されている年表やジオラマ、収蔵資料などのコレクションを見て回る。収蔵資料の数の多さに驚く。ジオラマは、HOゲージで、線路の総延長約1,200mもあるとか。風景の中を、様々な車両が、迫力いっぱいに走る。解説を聞きながら、走る模型を追い掛け見るのも楽しいものだ。
スペースギャラリーでは、企画展として、「鉄道博物館 新収蔵資料展 鉄道写真家・南 正時 作品展 Lの時代 国鉄特急、大集合!」が開催されている。そう、これが見たくて来館したと言っても過言ではない。鉄道写真家の南先生が、鉄博に寄贈された写真からの作品展の第4弾。先生の作品のうち、1970年代から1980年代末までの特急列車をテーマとした写真約90点を中心に展示していた。当時「L特急」と言う愛称で親しまれていた運行本数の多い昼行の在来線特急。奥羽本線で運転されていた「やまばと(上野−山形間)」号・「つばさ(上野−秋田間)」号も、その仲間であった。上野−山形間で、両特急合わせて5往復運転されていた。「大百科シリーズ」で見ていた写真などが、大きな写真となって展示され、当時の風景の中を行く特急列車の姿に、少年時代が懐かしく思い出された。愚息は、当時の様子を知りながら、撮影の技術、むしろ構図の取り方を学べた様だ。久しぶりに、我が家にある「大百科シリーズ」を出して読んでみたくなった。
圧巻なジオラマ。
これが見たくて。
屋上のパノラマデッキへ。新幹線に在来線、ニューシャトルが、すぐ近くを通過して行く。行き来する新幹線を撮影しようと思ったが、快晴を通り越して、あまりにも暑過ぎるので、そそくさと撮影しただけで切り上げ。駅弁を購入して、ランチトレインの455系(グリーンライナー色)で、涼みながら食べる。国鉄末期に、仙台地区の客車列車を置き換えるために、当時、余剰となった583系特急型電車を改造した715系1000番台や455(457)系などを普通列車に転用した際に、東北新幹線200系電車に似せたアイボリーホワイトの車体に、窓下にグリーンの細帯を巻いた塗色を採用し、「グリーンライナー」の愛称で呼ばれた。仙台地区のその他形式の電車も、それに塗り替えられた。東北地方の新時代を象徴した塗色だった。仙山線でも運転されていたので、懐かしい。展示車両は、偶然にも、持っている模型と同じ車番ではないか。
ミュージアムショップで、お土産を購入して、大宮駅からの新幹線の時間もあるので、鉄博を後にする。もちろん、満足しての事。
パノラマデッキは炎天下。
大宮駅から、「やまびこ」139号で、宇都宮駅まで自由席を利用する。自由席は、東京寄り最後尾の1号車にと、乗車ホームの端っこで列車を待つ。到着する列車を撮影するためでもあるのだが。現れたのは、銀色の車体を先頭にした「やまびこ」・「つばさ」139号。今朝、山形駅から、「つばさ」171号新庄行きとして出発したのが、「つばさ」139号として、E5系を従え、再び、目の前に現れた。
「やまびこ」号の方に乗車。先頭後尾車となる1号車は、ご存じの通り、外観は、鼻先が長く、客室の窓の数も少ない。撮影した都合、運転席側の乗降ドア、車体のほぼ真ん中から乗り込んだ。座席は、5列で横は広いのだが、すぐ向こう側の壁があるではないか。座席の数は、中間車両の半分もない。定員30名(内:車椅子1名)と窮屈な感じのする空間。まぁ、30分程度の乗車だし、のどの渇きを潤すのにちょうど良い。
大宮駅に到着する「銀色のつばさ」号。
宇都宮駅に到着。日光線へと乗り換える。日光線の案内板は、レトロ調な雰囲気。乗車ホームには、「日光線カラー」のE131系600番台が停車している。このE131系、使用路線毎に、塗色が異なり、番台区分も多様。番台区分の違い、あまり細かい事を気にしていたら、訳が分からなくなりそうだ。でも、大きく違う所くらいは、覚えていた方が良いのだろう。出発時間まで、観察を済ませて、車内で涼しんで待つ。
乗るだけで良い愚息であり、車両の撮影は、ゆっくり駅撮りでも十分なのかもしれないが、どこかで走行写真も撮影させたい父。昔から、「なるべく、乗ったら撮る。」そして、「模型化したら買う。」の始末の悪い小生なのである。このE131系600番台、K社から、7月に発売されていた様な。
出発した列車を、二駅先の鹿沼駅で途中下車。駅から、調べていた跨線橋を目指し、日光方面に5分くらい歩く。そこから見た風景は、転落防止用の網には、目隠しがされ、正面の撮影には、工夫が必要だ。橋の脇からなら、しっかり列車はきれいに撮影出来そうだ。二人して、同じ構図では面白くないし、安全を考えて、愚息には、橋の脇からの撮影を薦める。小生は、正面と言っても、架線が邪魔した形になるが、何とか撮影出来た。遠めに見えた開けた場所、時間に余裕があれば、そこまで行ってみたかった。撮影を終え、駅まで戻るが、ますます暑くなってきている。どこか喫茶店でもあれば、入って休もうかと思いながら、歩くが、それらしいお店がない。駅前付近だよね。はたまた、近くを通る東武鉄道の「東武日光線」の新鹿沼駅の方が賑わいを見せてしまっているのか。それとも、どこかの街とも同じく、郊外に大きな店でもあるのかな。駅のすぐ向かいに、何かお店があったが、ちょっとそういうお店ではなかった。仕方がないので、自動販売機でジュースを購入して、待合室で、日光行きの列車を待つ。静かな昼下がり。冷房もない開放的な駅舎に吹き抜ける風は、生暖かい。
E131系600番台。日光線・鹿沼−文挟間。
冷房の効いた列車に乗り、暑さから解放された父子は、しばらくしてから、座席を立ち、前面展望を楽しみ始まる。交換する列車、樹々に覆われた様な区間、開けた区間、そして、東武日光線らしき築堤を見つけたりして、なかなか楽しい。
やがて、日光駅に到着。終着駅のはずだが、1番線ホームは、東武日光線を潜り、続いている。草が伸び、陰ってもいたので、解り辛かったが、その先に、行き止まりの標識が確認出来た。以前は、3番線もあったし、引き込み線や留置線もあった駅だ。
空は、薄曇りとなり、いくらか過ごしやすくなっていた。駅からバスで、「日光東照宮」へ向かう。もう夕方であるにも関わらず、観光客であろう自動車が多く、また、外国からの観光客の姿も多い。さすが、「世界遺産の日光」である。バスを降り、参道を歩く。気のせいか、清々しい気持ちになる父子。さて、本殿を拝観しようとしても、解っていたが、まもなく受付終了の時間。それに、主要な社殿が、外部装飾の劣化や木部の腐朽が進んでいるとの事で、平成9(1997)年度から大修理が始まり、同27(2015)年4月の家康公400回神忌を経て、今年の令和6(2024)年度まで、「平成大修理事業」が行われている最中だった。周りに足場が組まれており、急ぎ足で拝観しても何だからと、代わりと言ってはいけないのだろうが、下野之国一宮である「日光二荒山神社(にっこうふたあらさんじんじゃ)」へ。ひっそりとした佇まい。ちょうど、「風鈴まつり」が開催されていたらしく、多くの風鈴が飾られ、それらの音色を聴き比べ、涼しむのも良さそうだ。風はないが、涼しくなって来たのは、厳かな場所が故なのか。
とりあえず日光東照宮。
日光二荒山神社の「風鈴まつり」。
お土産屋さんのある所まで歩き、店内を覗きながら、日光駅行きのバスを待つ。日光らしいお土産って何だろう。「湯葉」は外せないかな。バスに乗り、しばらくしてから、激しい夕立が降って来た。帰りの列車まで時間があるからと、東照宮でゆっくりしていたならば、大変な事になっていたかも。駅に着いても、より激しく降り続いている。涼しくなっていたのは、その前触れだったのか。駅舎内で大人しくしているしかなさそうだ。
本当にそう思ったのかは忘れたが、大人しくしているはずもなく、歴史ある洋風二階建ての駅舎の観察を始める。駅舎は、大正元(1912)年に改築された二代目。2階には、かつての一等車利用者用待合室「ホワイトルーム」があり、装飾品はそのままに、現在は駅ギャラリーとして、一般公開している。ホーム側の窓から、「東武日光線」を行く列車が、目線の高さで見える。駅舎右手にある屋根のついた広場は、団体待合所であるそうだ。1階には、貴賓室もあるが普段は公開していない。かつては、東京駅から、準急「日光」号が運転されていたが、今は、定期列車として運転されているのは、宇都宮駅との間を結ぶ普通列車のみである。「TRAIN SUITE 四季島」の停車駅でもある様だが。
日光駅。
日光駅2階の「駅ギャラリー」。
ギャラリーの窓から、東武日光線が見える。
出札窓口では、外国人観光客に英語で応対している若い駅員さんの奮闘ぶりに、敬服して見てしまった。親に似ず、英語が得意な愚息も、そこまでの英会話は出来ないと感心していた。外国人観光客が行った後、来駅記念に入場券を購入した。待合室は、雨宿りも兼ねた方もいるのか、座る場所が少ない。折り返しの列車が入って来そうなので、早めに改札の中へ。いつまで、雨は降り続くのだろう。
宇都宮駅に戻った頃には、雨は止み、街は、すっかり夜の装い。この町に来れば、やはり、餃子だろうと、新幹線ホームから見える駅(西口)すぐの餃子屋さんへ。相変わらず行列を作っているが、まだ時間も早いのか、さほど待たずに、店内に入れた。前回は、大行列で諦め、ついに、待望の来店なのである。好きな列車に乗って、訪れた先で、美味しいものを食べて、悦に浸る愚息。あとは、来年には、お酒が飲める様になれば、良くも悪くも、小生そのまんま。誇れる事ではないが、他人に迷惑さえ掛けなければ、それで良し。
ビールとコーラで、お疲れ様。餃子とラーメンで、お腹もいっぱいになり、東口まで散歩がてら、「ライトレール」を見に行く事にした。
食べるのも旅の楽しみ。
「ライトレール」、正式には「宇都宮ライトレール株式会社宇都宮芳賀ライトレール線」と言い、令和5(2023)年8月26日に開業した。日本国内の路面電車路線としては、万葉線(富山県)以来75年振りの新規開業。路線は、宇都宮駅東口と芳賀・高根沢工業団地の間で運行する。車両は、客室床面の高さが極めて低い超低床電車「HU300形」電車。「ライトライン」の愛称で呼ばれ、「ライト」は「LIGHT」に宇都宮の別称「雷都(らいと)」を掛けている。古来より宇都宮周辺は、夏に雷が多い気候であり、「雷都」と呼ばれて来た事、雷による夕立の恵みが豊作をもたらし、「らいさま」と呼ばれて来た事に由来する。「ライン」との組み合わせにより、「(未来への)光の道筋」というメッセージも込められている。なお、今年度の鉄道友の会「第64回ローレル賞」を受賞している。
ライトレール「HU300形」電車。
一人で出掛けられる行動範囲が広くなった愚息の楽しみが、また一つ増えたのかもしれない。これから先、どの様な乗り鉄旅が、愚息を待っているのだろうか。
宇都宮駅から、山形新幹線の下り最終列車「つばさ」159号に乗車。暑かった一日の疲れを癒す様にしながら、終点の山形駅を目指した。
無事に山形駅に到着。
鉄道友の会山形支部・支部報 気動車急行「出羽」令和6年秋号 より:都合により、写真の一部差し替えと加筆をしています。